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2-3
壊れて無残にも瓦礫の山となった町は、まだ微かに懐かしさがあった。
リーにとっては道中に見た貧困地域とそんなに変わらない景色だろう。けれど俺はそんなありふれた建物でさえもそこで何があったのか、現状との違いに痛ましさを感じるようなことでさえも知っている。
だからどうしても、瓦礫の前でいちいち立ち止まってしまうのだった。
「そこには食品とか置いていた……小さい店があって、チトセの体調がいい時は一緒にお使いに行ったりしたんだ」
そして、あそこには色んな植物を道端にはみ出るくらい置いて育ててた男の人が住んでた。
その人は言葉が喋れないらしくて無口だったけど、その人の気持ちを代弁する友達と住んでたから生活は大丈夫だったらしい。
本当に友達がその人の気持ちを代弁出来ていたのかは謎だが……
「なるほどね……あ、これ植木鉢じゃないか?ほとんど壊れてるけど」
リーはしゃがみ込むと何やらいじり始めた。
「花は咲いてるというより咲いた後かな、種がとれた」
「種か……持っていこう」
何もかも無くなってしまったんだと、そう思うだけだと悲しいし。
俺はリュックから手帳を取り出して、ページをちぎった。
「これに包んでおくよ、手帳本来の用途とは違うけど」
一応手帳としても使ってはいる。旅で得た知識とかメモとかを記したり。
あとリーには絶対言わないが、リーが今までに話したことで良かった言葉とかをこっそりメモしていたりもする、この自由人は時折良いことを言う。
「この旅が終わるとかそれさえも良く分からないけどさ、生活が落ち着いたらこの種育ててみないか?何が咲くのか気になる」
それはいいな。
そう笑って返しながら、ちょっとそこで休憩しよう、と言うくらい軽いトーンで提案した。
「あの道を曲がった先に俺の家があるんだ、案内するよ」
リーは何も言わず頷いた。それはリーなりのやさしさなのかもしれない。
俺は前を向いて歩き始める、努めて明るく振舞いながら。
何度も涙がこぼれそうになって、耐えた。意を決して目線を上げる。
ありふれた、崩れた建物があった。
「……何も、変わらないな。他の建物と。」
そこには階段があって、ばあちゃんは昇り降りが大変そうだった。
他の部屋にも人が住んでたけれど、環境が悪化する内にどんどん引っ越しちゃってさ。
二階の踊り場から奇麗な夕日が見えるんだ。
そうリーに次々と説明していく、話すのを止めたらもう何もできなくなるような気がした。
「そうか……」
ひと通り聞いた後、リーは一言告げ俺の肩にそっと手を置いた。無理に取り繕わなくてもいいと、そんな素振りだった。
それで、もう涙を留めておけなくなった。
声も出せずに泣く。リーは何も言わず、静かに見ていた。
「ごめん、リー。でも、ありがとう……」
ずっと泣かないようにしてたけど、ごめん。かっこ悪いだろ?
どうしても声が震えた。
「いいんだよ、セナ。辛い時に泣いてしまうのは仕方ない」
リーは軽く俺の肩を叩くと、控えめに笑いながら言う。
「僕はセナのことすごいと思ったんだ、どんなに辛い現実でもちゃんと受け止めてるから。僕は逃げてばっかりだったし」
「リー……」
優しさが身に染みる。それで思わず涙が溢れてきた。
ひとしきり泣いたあと俺は袖で涙を拭って、出来る限りの笑顔を返した。
「ありがとう、俺もリーのこと凄いと思うよ。カバーの天才だし」
そうだろう?僕は天才なんだ
ふざけて返すリーのおかげで、いつもの調子に戻れそうだった。
「そういえば、さっきみんな引っ越したと言ったけど、お姉さんだけはギリギリまで残っててくれたんだ」
お姉さんはこの建物に住んでいた人で、良く面倒を見てくれていた。
「けれど、どうしても行かないといけなくなったんだ、またどこかで会えるだろうか……」
「また会えるといいね。生きなよ、少年。」
最後にそう言われて別れたのを思い出す。
眉毛が特徴的で、面白くて、本当のお姉さんみたいだった。
チトセとばあちゃんのことを伝えるのは辛いが、伝えないといけないと思う。
「会えるさ、このまま世界中旅し尽くせば、多分!」
「本当か?けど、そうかもな……世界中旅し尽くそう。もちろん付いてきてくれるよな?」
「当り前さ!けどセナ、僕を置いて行ったりしないでよ?」
状況次第だな。
そう返して笑う。リーは不満そうな返事をした。
どこへだって共に行くと思う。
けれど、もし危険な状態になった時はリーだけでも逃がすつもりだ。
「それで、セナ。もう大丈夫?……セナの気が済むまで居ても良いんだけど、ほら時間とかさ……」
「大丈夫。ここにはもう、チトセもばあちゃんもいない……そう腑に落ちた。だから、俺は先に進まないと」
そう伝えて、歩き始めた。
「これは……まさか!」
その建物の前で思わず感動してしまった。奇跡的にも建物は外装が少し崩れただけで、形も内部も保たれていた。
思えばここにはこのエリアにしては富のある人々が住んでいたような気がする。きっと質も良いのだろう。
「リー、ここは図書館なんだ!昔よく行ってた、残っているとは」
図書館といっても、元は人が住んでいた部屋で、大量の蔵書を残して家主はいなくなった。そこを文字の読める住民が図書館として利用しているだけだったが。
だが貧困地域は文字の読める者も少ない、自然と本に興味を持つものは限られ、俺にとってはここは人のいない落ち着ける場所だった。
「ばあちゃんが勉強はしなさいってよく言っていたんだ。だから体調が安定している日は昼間家に居させてくれなかった、図書館で本を読め、と」
俺は本が好きだから、嫌ではなかった。けれど家族のことが心配だった。
「なるほど……僕もよくシスターとかに勉強しなさい、と言われたよ。僕は勉強も学校も大嫌いだったけど………」
学校……
「リーは学校に行っていたんだな。俺はほとんど行けてなかったんだ、本を読んだり年上の人の知識を聞いて学んでた」
そう言うとリーは驚いたような顔をする。
「それでも、セナは頭良いだろう?向いているんだよ、本当はセナみたいなのが学校に行くべきなんだ、僕じゃなくて……」
苦虫を噛み潰したような顔で言う、相当嫌な思い出があるんだろうか。
「なあ、ちょっと寄っていこう」
そわそわしてしまう、久しぶりに新しい本が読めるのが楽しみで仕方なかった。
リーが返事を言い終わるのを待たずに、俺は階段を上り始めた。
「ああ………あれもこれも読みたくなる……どうしよう」
「せ、セナ、速いよ!………まったく、僕はあんまり本に興味がない……まあセナが嬉しくて楽しいなら良いんだけどさ」
息を切らしながら付いてきたリーの気配りに感謝する。
いそいそと本を手に取り、俺は本だらけの狭い部屋の端──いつもの場所に座り込んだ。
セナは夢中で何かの本を読んでいる。僕は手持ち無沙汰になり、適当に本の山の間を歩いた。
一番上に載せてある本を取り、開いてみる。だらーっと文字が密集していてすぐに閉じた。
本は読めなくないけど、僕は読書に対しては強制されるものという印象が強いから、拒絶反応なのか読んでるうちに眠くなってきてしまう。
ふと表紙に見覚えのある絵が載っている絵本を見つけ、取ってみる。
あひるの子どもの話だった、これは小さい頃にも読んだことがある。
けれども、改めて読んでみて思う。
僕みたいだ。
昔はまだ、幼くてみんなとの違いも良く分かっていなかった、けれど今は色んなことを知りすぎてしまった。
僕みたい、だけど、違う。
僕には最終的に白鳥になるような成功はできないだろう。
「リー、すまん。夢中になってた、暇だよな?」
ひと段落着いたのかセナが話しかけてきた。妙に静かな僕を不思議がりながら、僕が手に持っていた本を見て、なんだか察したような顔をする。
「なにさ、その顔?」
そう笑えば、セナは何も聞いてこなかった。気を遣ってるんだと思う。
遣わせてしまうのが歯痒い。やるせなくなり、話を変えた。
「本持って行っても良いかな?もうこのエリアには誰も住んでなさそうだしさ……」
確かにこのまま誰にも読まれずに朽ちていくよりはいいかもな、そうセナは返す。
「それにしても珍しいな、リーが本に興味を持つとは」
「僕も好きな分野のは結構読むよ?……まあ、この本はなんだか他人事に思えないしさ」
「そうか……」
僕は鞄に本を仕舞い込み、次に読もうと何かの図鑑を手に取る。
「そういえば、どうしてこんなにも人がいないんだろうか?……それにどこもかしこも壊れてしまってるしさ……」
「俺が知っている範囲でなら教えられるが……聞く?」
頷くと、セナは話し始めた。
もともと人間テリトリーの草原や森はよく戦場になっていた。
天使テリトリーでほとんど行われなかったのは戦力が強くて容易く侵入できなかったから、だと。
確かに天使族の政府は軍備に力を入れていた、好戦的で民に気を配らないから、嫌われていたのを知っている。身近な人々もよく文句を言っていた。
それで戦争の影響を受けて壊れた地域もありどんどん人が避難していった。セナたちは情報もわずかしか入らず、加えて病人も抱えていたから町から出られなかったんだと。
そして数か月前の大爆発が崩壊の決定打となり、わずかに残っていた人々も、死んだか、逃げたか。
……かなり酷い経緯に何も言えずにいたら、雰囲気を変えようとしたのかセナが質問してきた。
「そういえば、リーは何歳なんだ?」
「17、セナは?」
そう言えば嬉しそうな顔をした。
「俺も、17歳。同級生だ」
僕たち世代は多いらしい、というのもその時期は小康状態で平和だったらしいから。けれど天使族のトップが変わってから状況が一変して、また一触即発になったんだと。
「なるほどね……天使族のトップが変わらなければ平和なままだったのかもしれないな……」
「……それでも少しずつ関係は悪化していたらしいぞ。政府が変わらないにせよ、時間の問題だった」
そのとき、ふと外を見たセナが言う。
「もう夕方か。今日はここで夜を越さないか?……屋根もあるし、部屋だし。な?」
セナがもっと本を読みたいだけだと思ったけど、快く賛同しておいた。
「ああ……もっと読みたかった……あれも、これも……」
はいはい。とリーに軽くあしらわれながら、泣く泣く図書館をあとにした。
昨日も一晩中読みたかったけど、明かりがなかった。手持ちの電灯を使おうとしたら貴重だからとリーに猛反対され諦めた。
せめて、と持てるだけの重要な本はリュックに詰め込んだ。図鑑とか役に立ちそうだ。
「また本が読める場所に辿りつけるだろうか……?今が平和で安定していれば良かったと心から思う……」
「また読めるよ、多分。だからどんどん先に進もう」
リーはぐんぐん歩いていく。俺はうなだれながら付いて行った。
「本当にこっちで合ってるのか?」
しばらく歩いて、俺は本への未練を断ち状況を確認する。
以前森の中で迷ったときを思い出した。確かあの時も先導者はリーだった。
けれど俺は天使族方面のエリアに疎いから、リーに付いて行くしかない。
「多分!こっち行けば天使テリトリーに着く」
「違うよ」
俺たちは驚いて振り返り、声の主を見る。
見知らぬ少年がこちらを見ていた。
「緑のにいちゃん、あんた天使族だろ?オレ初めて見たわ」
……性別を間違えているのが分かり、同じ経験をした俺は少し親近感が湧いた。やっぱり間違えるよな。
リーをちらりと見ればなんてことないような表情をしていた。気にしていないらしい、いいのか。
「てかさ……あんたら、こんなトコに何の用があるんだ?」
少年が不思議そうに聞く。
「いや、俺たちは天使族テリトリーに行く旅の途中で……」
「ふーん、旅かあ。オレもしてえんだけど、ジジイが許してくれねえんだよな……」
おじいさんもいるのか。
「君の名前は?どこから来た?」
リーが聞く、少し警戒しているらしい。
「オレはシン。あんたら面白そうだったから後つけてた。オレ昼間ヒマだからここらへん散歩してんだよな」
そう言うとシンはリーを見つめる。
「へー、天使族も人間とほとんど変わらねぇんだな!その羽どうなってんだ?飛べるのか?」
「……いや、僕は飛べない」
「ふーん。まあ羽はかっけえよな!オレにも生えねえかな」
シンはけらけらと笑う。
飛べないことに関して追及しなかったからか、リーは少し安心したようだ。
「あんたら天使族んとこ行くのか?ならオレん家来いよ、ジジイが詳しいからさ、まあジジイがどう言うか分かんねぇんだけど」
「良いのか?」
「構わねぇよ!オレ、ダチを家に呼ぶとかしてみたかったんだ、いっつもジジイと二人きりだしさ!」
友達……唐突だったけれど、楽しい出会いだ。
シンに付いて行きながら談笑する。
「前もリーが先陣切って迷ったんだ、方向音痴なんだな?」
「な、なんだよ……悪かったな、不器用で方向音痴で!」
リーは分が悪いのか目を逸らした。不器用は言っていなかったが、どちらも気にしているんだろうか?
「へー、にいちゃん不器用なのか、オレも!!いっつもジジイに叱られてる”もっと丁寧にやらんか!”ってね!」
シンは嬉しそうに仲間だー!と叫んだ。
……意外な所で同盟が結成されているな。
「そういえば、シン。リーは女だぞ」
「ええっーー!!?」
シンは一挙一動が少年らしくて楽しい。
「じゃあ、ねえちゃんだな!リー姉?」
「そう呼ばれたの初めてだ。なんか慣れないからリーでいいよ」
リーは驚いたような顔をしている。
「わかった!あ、あれがオレん家!」
シンは前方に見える、半ば崩れた建物を指した。
「ジジイ!ダチ連れてきた!」
「バカたれ!何じゃその口の利き方は!」
先に家に入ったシンを誰かが怒鳴り飛ばす、その勢いに圧倒されていればシンがこちらに戻り、耳打ちした。
「ジジイ、怒りっぽいけど、怒る時間は短い」
なるほど、とはいえすさまじく怖い。
「何……天使めがおるな?ワシは嫌いだ!ヤツらには散々苦しめられた!」
それが聞こえたのかリーは表情を硬くした。
「すまねぇ……ジジイは昔軍人だったんだ。ダチとか死んでるぽくてな……」
シンは申し訳なさそうにこちらを見ると小声で伝え、また家の中に入っていった。
「リーはイイ奴だって!!つかさジジイ何で分かんだ?」
「においで分かるわ!ワシがどれだけヤツらと対峙したことか」
あの気の抜けた羽の臭い……気が狂いそうじゃ。
「ジジイ!リーはジジイが戦った天使族じゃねえだろ?落ち着けよ!」
そのあともしばらく口論が続き、終いには老人が折れたらしい。
「ハァ……すまねぇ、入っていいってよ」
疲れたようにシンが話した。「ケンカはいつものだから気にすんな」そう添えて。
建物に入る前に振り返る。
リーはなかなか入ってこようとしなかった。
「リー……」
「どうしよう……僕……」
「大丈夫、ジジイがリーに何かしたらオレがぶっ飛ばすから!」
シンはリーの背中を押して室内に入った。
「お、おじゃまします……」
白髪の老人はこちらをじろりと見る、俺はすくみ上がった。
老人には元軍人だと聞けば誰もが納得するような貫禄があった。
「お前……ふん。天使族といえど、飛べないヤツじゃないか」
老人は縮こまっているリーを見た、先程までの険しさが少し和らぐ。
「飛べるヤツらはもっと高慢だ、人間を見下しておる。……さしずめ族の間で村八分にでもされたんだろう。当たっとるな?」
「……はい」
今にも泣き出しそうなリーを見たのは初めてで、思わず居た堪れなくなった。
「ヤツらのそういうところが、まさに問題なのだ……」
老人は険しさより悲しさが勝る表情をする。
「ジジイ……」
「シン、湯を沸かしなさい。茶の用意を」
分かった!そうシンは嬉しそうに返事をすると、いそいそと準備を始めた。
「ワシはミツル。お前さんたち、先程は済まなかった。そこら辺に腰かけてくれ、狭くて汚い家だが……」
「お、お気になさらず!こちらこそ、突然押しかけてきて……すみません。」
「いや、いい……シンの友達、か。あやつには子供ひとりきりで寂しい思いをさせてきた……初めの時点で余裕を持つべきであったな」
シンがお茶を淹れてくれた。温かさが身に染みる。
「して、お前さんたち。ここに来た経緯を聞かせてもらえるか」
「は、はいっ!……えっと…………」
俺はミツルさんに一通りの流れを説明した。
「そうか、家族を亡くしたと……つくづく思うものよ、争いは忌まわしき、と」
ミツルさんは傷だらけの手をさする。
彼はその手で武器を持ち、戦っていたのだ。実態を知る者の言葉には重みがあった。
「俺の父も、軍人でした。戦いに出たきり、帰ってきませんでしたが……」
「……お前さんに似た者を、見かけたことがある。恐らく配属が違った。故に関わることはなかったが…」
父を……。
「……して、お前さんは」
ミツルさんはリーに話しかけた。
「は、はい…………」
リーはしどろもどろになりながらも話す。
「親がいない、と。だが……ルーツを辿ることが出来ればお前さんが飛べない理由も判明するであろう」
「ルーツ……」
ミツルさんはリーを改めて見ると何かに気付いたような顔をした。
「ああ、今思い出した……天使軍で指揮を執っていた、かなり若い女性ではあったが、凶悪……指示が完全だったのだ。ワシはヤツとの初戦で深手を負い、軍を退いた………そいつにどことなく似ておるな」
「女性……?」
「親戚かもしれぬ……他人の空似もあるだろう。いずれにせよ、確認する術は無いが……」
「そうですよね……でも、僕は他人だったら良い、と思います。でないとセナみたいに良い人もいる人間と完全に敵対することになってしまう……」
落ち込んだリーを見かねたのか、ミツルさんが補足する。
「……一つ言えるのが、そんな軍のトップが子を持つ筈がない、ということか。望めど不可能であろう。また親族も軍関係である可能性が高い」
それを聞きリーは少し安心した様だった。
「天使族にはお前さんのような見目の者もよくいる……ワシの言ったことは忘れてくれ……ジジイの戯れ言だ」
「おーい!オレのこと忘れてねぇ?」
忘れてた。
「シン!お前は空気を読まんか!アホ!」
「はーいはい!」
シンは慣れている様子だった。
「あ、ジジイ!リーとセナにアレ見せてやろうぜ!」
「まったく……お前さんたち、機械に興味はあるか?」
「機械?もちろんです!あっ!、そういえば壊れてるのか分からないんですが、動かない機械を持っているんです」
俺はそう言ってリーに目配せした。
リーは鞄を探り、あの黒光りする板のような機械を取り出した。
「これは………名称は忘れたが、知っているぞ。なるほど、動かせるかもしれんな、預かってもいいか?」
リーは大人しく機械をミツルさんに差し出す。
「では、見てもらおうか、シンの要望だ。だが大したものではないが」
そう言うとミツルさんは奥の部屋に行き、手招きした。
「すごい……!」
先に反応したのはリーだった。
その部屋には工具やら、基盤やらといった工業関連の物がたくさんあり、中央には何かの乗り物が置いてあった。
「これはバイクだ、道端に捨て置かれていたのを拾ってきてな、こうして修理をしておる。完成次第この町を出てチカへ行き、シンの母親に合わせてやらねばならん」
「チカ………?」
「チカは避難街じゃ、ワシも良くは知らなんだが、コイツの母親が身ごもっておったから道程だけを伝えて先に避難した」
後から荷物をこのバイクに載せ、送る手筈だ。
「そう!オレ、にーちゃんになるんだぜ!」
シンは誇らしげに言う。
「ワシは機械もそれなりに分かるから、これを地道に修理しておったが……数ヶ月前の爆発もあってな、遅れが出ておる」
「そうなんですね」
「まあ、もう完成は目前だろう。そうだ、お前さんらにもチカへの行き方を教えておこうかね」
「えー、ジジイ!先にメシ食わねえ?オレ腹減った!」
ミツルさんは明らかに呆れた声を出したが、今度は怒鳴らなかった。
「わかった、わかった。お前さんたちも食べていくといい」
予想外の展開だったが、俺たちは口を揃えてお礼を述べた。
「おいしい………」
リーが感嘆の声を上げる。
料理名は分からないが、具の入った粥のようなものをご馳走してもらった。
最初は温かい食事に慣れなくて、少し口の中がやけどした、けれど美味しい。いつもの栄養ブロックとかでも十分満足していたけれど、それ以上だった。
こういった食事らしい食事をしたのはいつぶりだろう。もう思い出せないくらい昔だ。
「もう長い間こういう食事をしてませんでした、多分リーも」
それにリーは頷く。
「そうか……世も末よ。何の罪もない若者らにさえ過酷な環境を強いる……情けない」
「でも俺たちはその分強いんです、多分ですが」
俺がそう言うと、ミツルさんは景気よく笑いだした。
「面白い!今どきの若者は……とは老人の常套句であろうが、若者も上手くやっとるわい」
「だろ!ジジイ、おかわり!!」
「シン!お前は遠慮を覚えんか!」
その掛け合いに思わず笑ってしまう。
新しくお椀につぎながら、ミツルさんは言った。
「そういやお前さんらの機械じゃが、修理には暫し時間がかかる。今の世界の状況も伝えねばならん、今日は泊っていくといい。こんな環境だ、休める場所も滅多に無かろう」
「良いんですか?」
「やった!一晩中話そうぜ!!旅の話聞きてぇ!」
シンは嬉しそうに立ち上がった。
「今は、ここに住んでいるのはワシらくらいだろうか……だが、ワシらも近いうちに出る。シンの母親を待たせておる、それに食料も底が見えてきた」
話しながらミツルさんは何やら工具類を使い、機械を開いて作業をしている。
中はこんな風になっているのか。
興味深いのか、リーはミツルさんの手元を夢中で見ている。
「ここから西に向かって歩いて行けば、天使族領土に辿り着くであろう。あとは壁を越えられるかどうか」
「いけんじゃねえ?あの爆発で壊れただろ!」
「……まあ、お前さんがこっちに来れておる。どこかしら開いてるであろう」
そう言って、リーの方を見る。
「あ、そうだった。壁が崩れているところがあった、だから行けると思う」
「……壁の管理は天使族がしておったな。何やら奇妙な術を用いていた。一見壁には何も出口が無いが、天使による特定の操作で開くと」
「詳しいですね」
「……ワシはこれでも、昔ヤツらと歩み寄ろうとしたことがある。その際に色々調べた」
「ジジイ、マジか!」
「少し、昔話をしようかね」
ミツルさんは機械を机上に置き、何かを思い出すかのように目線を上げた。
「その当時は若者の大半が軍に入った、ワシも例に漏れず。幾度となく戦地に赴くうち、ヤツらも我々と似ているのではないか、と思い始めた。……翼の有無という決定的な違いを除けば」
争う意味を見出せなかったのだ。まずはヤツらのことを知る作業から始めた。
存外人間と変わらないと、気付く。ならばきちんと場を設けて、話し合えば良いのではないか。
「さすれば、分かり合えるであろうと、若く浅かったワシは思っておった」
同志も見つけ、共に試行錯誤を重ねた。
しかし
「その友が殺されたのだ、あいつは早とちりをしたが……我々の言葉を聞かず、ヤツらはワシの一番の友を屠った」
ワシはすぐに天使族に敵対心を持った。憎悪に支配されていた。……つくづくワシは浅はかであったと、今ならば思う。
その後は手遅れなほど、ヤツらを葬ったか。もはや争いは誰にも止められなくなっておった。
悲しく、しかし優しげな眼差しでミツルさんは俺たちを見た。
「お前さんらのような者達が、きっと世界を変えていく……」
「僕らが……」
「全ては壊され、白紙になった。次は過ちを起こさぬよう、変われる時機は今。」
「オレも!やるぞ!!オレは天使族嫌いじゃないぞ!」
シンが元気よく言う。
俺たちは顔を見合わせて、笑った。
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