第11話「壁」

本編
この記事は約13分で読めます。
イラスト 制作中

2-6

先日、寝泊まりしていた部屋から移り、アズサさんが自室(兼サボり部屋)として使っているという作業部屋に今はいる。

「ほうほう、壁を越えて、天使族テリトリーに行くんだな?」

俺は頷く。リーは夢中で甘いパンのようなものを食べている。相変わらず食べることとなると余念が無いな。

アズサさんがくれたパンはふわふわと甘くて美味しい、馴染みのない味と食感だった 。こっそり蓄えていたおやつ代わりの物だから気にしなくて良いとのことだ。

「ふむ……この施設を抜けるのは骨が折れるだろう!複雑だからな」

まあ、複雑だから色々弄りがいがある!

アズサさんはそう言うと手に持った小型の機械を空間に向け、操作をした。一見すると何の変哲もない壁が静かにスライドし、道が現れた。

「うわっ!凄いな」

「見つかりそうになった時はよくここから裏道へ抜けていたんだ!仕事はやるが、それ以上欲求されるのは勘弁と思っていたからな!」

「そ、そんなものまで!」

「もともとこの基地にはこういった仕組みがよくある、緊急時にでも作動させるつもりだったんだろう。それを私が改変したのだ!」

寮エリアはもう誰も使っていないからな、どうしようと咎められることもない。

「家にこういう仕組みがあると楽しそうだよ。まあ僕ら家ないんだけどさ」

「家を持たず世界を旅して回ることも魅力的だ、自由じゃないか!」

「そうですね、大変なことも多いけれど楽しい」

「ああ、僕もそう思う。旅は色んなことが起きるしさ」

「はは!君たちと話していると面白い!だが君たちの楽しい旅を中断させてしまうのは惜しい。朝食が済んだら道を案内しよう。付いて行きたい気持ちは山々だが、これでも雇われの身だからな……」

さっきの隠し通路をアズサさんを先頭に進む。暗くて狭いが軍の関係者に見つかることは無さそうだ。

隠し通路には話題に出来る事もなく、黙々と歩き続ける。

暫く経ち、暗くてよく見えないが行き止まりに出た。止まれということだろうか、アズサさんはこちらを手で制す。

「うわっ、セナ?突然止まらな……」

勢いあまってリーが俺の背中にぶつかってきた。振り返り静かにと小声で伝える。

「この扉を開けて、一旦大通路に出てからまた裏道へ行かないといけないのだが、あいにく人がいてな」

アズサさんが手招きする。暗闇の中だ、良く見えないが、扉の前に立つ。

細く漏れこむような光の元を辿れば、ドアに僅かな隙間があった。

二人組みの女性──基地の関係者だろうか、目の前の大きな通路を歩いているのが見えた。

「……西地区修繕箇所の調査、か。あれは先日出した通りだろう。はぁ……あの方々は納得できないそうだな。何度調査しようと、損害は軽くならないというのに……」

私たちも雑用ばかりだ……まあ、こんな状況でも職があるだけましか。

髪をきつく結った女性が、手元の書類を見ながら、疲れたように後ろの女性に話しかけている。

「あの……すみません、先輩、今なにか声が聞こえませんでしたか?」

「いや、分からない。──……もしや、例のアズサさんとやらではないか?基地内をいつも動き回っているそうだから」

「アズサさん?…ああ、生きる都市伝説の方ですか?」

「都市伝説?君は最近配属されたから、会ったことがないかもしれないな」

後輩らしき女性の言葉を聞き、かすかに笑いながら、返答している。

「噂は聞きました。不思議ですよね……奇抜だそうですけど、頭のいい先輩だとお聞きしています」

「君の耳にも入っているのか……私は以前会ったことがあるのだが、あの方には到底叶わない……」

「ははは、聞いたか?」

渦中の人物は小声ながらも楽しげに笑いながらこちらを見る。

「都市伝説か、すごく良いじゃないか。人々の理解が及ばない域に私は居たいんだ」

「十分、及ばない域にいると思うけどさ」

「リーのお墨付きなら確かだな」

「それは、どういう意味なんだ………?」

リーは拍子抜けたように尋ねる。

「君は天使族といえど単独で人間テリトリーに来るほどだ、私に似たものを感じるのだ!」

「アズサと一緒…………?複雑だなぁ」

「リー、正直すぎるぞ……」

「ははは!」

アズサさんはそれを聞いても楽しくて仕方ないようだ。抱腹して笑っていた。

「そうだ、君たち。リヒト氏の著作を読んだことはあるか?単独で天使族テリトリーに行った人間だ。彼の本はとても面白いぞ」

「あ、あります。天使族についてかなり露骨に書いてあって面白いですよね」

「君たちとはつくづく気が合うな!そうだ、リヒト氏の本のうちの一つだが、これを持っていくといい。人間と天使族の関わりについて書いてある。」

天使族と人間の歩み寄りの可能性も示唆している。お気に入りの本で常に持ち歩いて読んでいたのだ。

「これを……!いいんですか?」

「他にもいくつか持っている。そうだ、再開の約束にもなる。また返しにでも来てくれ!」

「すごい嬉しいです。俺が持っているものは環境や生活についてがメインの本で、他も読んでみたかったんだ」

「人間と天使族にも友情は成立するらしいぞ、詳しくは読んでくれたまえ、ははは!」

「僕も読んでみようかな」

「リーも?珍しいな。一緒に読もう」

「友情が成立することは既に目の前の若者二人が証明している………」

アズサさんは感慨深そうに言う。そして思い出したのかのように状況を確認した。

「思わず話し込んでしまったな、彼女らはとうに行ったようだ。私達も先へ進もう」

アズサさんはしゃがみ込み、扉を弄る。軋む様な音をさせながらドアが開く。

「……まぶしい」

リーが目を瞬かせながら言う。俺も眩しさで眇めた。

先程まで日の光も入らず、人工的な光もない暗闇に居た。外は普通の明るさとはいえど、より強く感じてしまう。

アズサさんは慣れているのか、先へと進む。俺たちも後を追った。大通路に出ると、割れた窓ガラスの欠片や瓦礫が散乱していた。

「ガラスには気を付けてくれ。この棟はまだ片付けが済んでいないんだ。人手不足に加えて、施設の修繕、壁周辺調査まであるからな!」

「壁の調査もするんだ」

瓦礫を軽やかに避けながら、リーが不思議そうに訊ねた。

「爆発による影響を総括的に見ると、爆発は壁を破壊するためである可能性が出てきたのだ。まだはっきりとは判明していないが……」

「一体何のために……」

俺は首を傾げる。この世界は知れば知るほど謎が深まるような気がした。

「セナ、考えていても仕方ないよ。ここには知ってる人いなさそうだしさ」

「リーは考えなさすぎだ……」

「考えてもどうしようもないことは多いだろう?」

僕の過去も、そんなことばかりだったしさ……

後半の言葉は聞かせるつもりはなかったのだろうが、俺には聞こえた。

それで、昨日リーが見せた反応を思い出した。過去について尋ねた時の反射のような拒絶を。

言いたくないのかもしれない、けれど言わないと気づけないこともある……

「君たち、こっちだ!」

話している間に少し先へ行っていたアズサさんが手招きする。

俺たちが向かうと、アズサさんは壁の下部の小さな取っ手──壁の一部のように見えるそれを掴んで押し上げた。再び隠し扉が開かれる。

「また真っ暗だよ……」

落胆したリーを宥めながら、先へと進む。

暗闇を歩いてしばらく、次に出た場所は狭い通路だった、ここも日が入らない。人工的な光が青白く床を照らしている。

「ここは研究棟の最上階だ!傷病者治療用の病棟も併設されている。今は治療中の者は少ない。遭遇のリスクは低いだろう」

「研究とは、どんなことを?」

「私は技術界隈の人間だからよく知らないのだが、傷病者の症状についての調査、治療法の研究、武器や兵器の欠陥の修正、実験や開発もしていたか……確か軍部研究所の支所的な位置付けだったような……」

「なるほど」

……やはり、アズサさんの知識は抜かりないな。

軍部の支所、か、ここ防衛基地と以前ミツルさんに教えてもらった軍部人間軍本部はかなり離れている。基地でも作業できた方が効率が良いからだろうか。

「そういえば、建物に入っていからは感知が反応していないな」

リーは暇なのか辺りを見回し言う。そういえばそうだ、俺も不思議に思った。

「歩きながらとなるが、説明しよう」

そう前置きしてアズサさんは続けた。

「建物内には天使族感知が実装されていない。私に開発命令が下った時、既に軍部は資金も余裕もない状態だった。安価な後付けの装置を外のエリアにのみ付けたのだ」

施設内は他にも幾つものセンサや機構がある、内部作業用の複雑なものがな。双方の干渉や影響を考えて設置するには資金と技術が必要だ。それに対して、屋外装置は主に周辺環境のデータ収集と侵入者対策。私の発明はそれらの技術にプラスアルファするような仕様だから、実装のハードルが低い。……脆弱性はあるが、軍部も焦っていたんだろう。

また天使族には好き好んでこっち人間テリトリーへ来るような者もほぼ居ないからな……悲しい。

私はいつでも彼らに会いたいんだが……アズサさんは落胆したような声で付け加えた。

「天使族はアズサに見つかったら、多分必死で逃げると思うけど」

「ははは、リーは正直で面白いな!」

恒例の直球すぎるリーだったが、予想に反してアズサさんは楽しそうだ。

人気のない通路に声が響く。次第に音が静まっていき、またひんやりとした静寂が訪れた。

「ここは寒いというより冷たいなぁ……」

俺は頷き、腕をさすった。

「アズサさんは平気なんですか?」

短いズボンに、靴下も履かずサンダルの様なものをつっかけている。羽織っている白衣も薄い。見るからに寒そうだ。

「ああ、私はあまり気にならん。慣れているからだろう!」

アズサさんはそう言いながら横の細い通路に進む、こちらを手招きした。

途端に辺りが薄暗くなる。何度も明暗を繰り返しているからか、大分慣れてきた。しばらく進むと、行き止まりかのように金属製のドアが現れる。

「このドアを開けないといけないんだが、いかんせん重くてな……若くて力のある君たち、折角だから開けてみたまえ!」

ルートを知っているということは、アズサさんはこのドアを開けられるはずだが、案内してくれている身だ、俺は快く応じた。

リーはえぇ……と不満そうな声を上げながらも参加した、面倒くさがりだが好奇心は強い。

せーの、でふたりで取っ手を引く。思っていたよりも重いそれに驚いた。

「すごい!」

「ははは!そうだろう!」

アズサさんの楽し気な笑い声が反響する。

「ら、螺旋階段……」

俺は思わず以前の事件を思い出していた。

リーの踏んだ階段が落下し、俺が飛び移るはめになったあの時……

「セナ?あ、そういえば前崩れ落ちた階段も螺旋階段だった」

「ああ……」

「もしかして怖気づいてるのか?セナ?」

リーはこちらを試すように見る。……加えて面白そうに。

「危険より安全を取るべきだ。……だから、怖気付くのは当然のこと……だと思うが、いや怖気付くとかそんな、そんなんじゃない」

「くくっ……この階段が抜け落ちたら一緒に最下層まで落ちよう」

「勘弁してくれ………」

「ははは!!君たちの冒険譚は非常に面白い!この階段は作りもしっかりしている。抜けることは無いだろう。さあさあ下りたまえ、この先にはもっと面白いものがあるぞ!」

「それは楽しみだ!」

そう言うが早いか、カンカンと子気味よく金属を鳴らしながら、リーが楽し気に先頭を行く。

同じ螺旋階段ということで以前のことを思い出しはしたが、今回は明らかにそれとは違う。しっかりとした金属はこれまた頑丈そうな金具でがっちりと固定されている。俺も二人に続いて、階段を下りていく。

緑の蛍光灯の光が雰囲気を演出している。階段の滑り止め用の凹凸が怪し気に光る。

かすかな、けれどいくつも付いた傷に錆。それらでさえ役目があるようだ。汚れではなく装飾の様に場を形作る。

今やっと実感した。これは本でよく読んだ例の──謎の組織内探検そのものだと。

その途端、突然そわそわと心が躍り始める。もしかして、俺たちは本の中の主人公のような旅の経験をしているのだろうか?──ただただ生存のためだけに行動してきた今までも、見方を変えれば面白い経験に成りうるのだろうか。

「セナ、楽しい?珍しいなぁ。いつも目が死んでるのに、今は少し輝いてる」

「リー、ほんとか……?いや、なんだか本の中のような経験をしてるな、と」

「確かに……というか、そういう面白そうな本なら読みたい」

「そうかそうか!ああ……君たちをここに連れてきて正解だった!」

アズサさんは身振り手振り大きく、喜びを表現している。

「若者の楽しそうな様子は最高だからな!」

三人で、なるべく静謐に……でも楽しさが抑えきれないまま、身軽に階段を下りた。

階段を降り、またもや扉を開けさせられながらも楽しく探索を続けた。ついた場所は地下らしい、が通路はおなじみの薄暗い景色でいまいち実感がわかない。

『なぉ~~』

突然、種の混ざったような茶色の猫がアズサさんを目指して一目散に駆け寄ってきた。

「よ~しよし。おまえも来客の気配を察したんだな!」

猫を撫でまわしながら話す、猫は気持ちよさそうに首を伸ばし、ごろごろとのどを鳴らした。

「猫がいるんですね」

「外があんな調子だからか、よく野良猫が侵入してくるのだ。私は、そんなねこたちの世話をしている!」

『なゃぁん』

独特の鳴き声を出しながら、続々と猫たちが集まってきた。

いの一番にアズサさんに撫でられていた猫が俺の足元に近づき、ふわりふわりとすり寄っていく。リーの羽に負けず劣らず心地良いそれに驚きと幸福を感じる。撫でてあげると、猫は満足げに鳴いた。

次々と猫が物珍しそうに近寄ってくる、場所が埋まったからか、茶の猫は俺から離れていく。その時何かを見つけたのか、てくてくと歩いて行った。

俺はその動向を追い、納得した。どうやら後ろのリーを目指しているらしい。

「リー、そっちに猫がいったぞ。撫でてみると気持ちいい──……」

話しかけながら目線を上げ、俺は驚いた。

猫の進行方向の先には、日常の様子からは考えられない程静かで、固まって……冷や汗をかいているリーがいた。

『にゃー』

「う、うわぁ……ね、ねこ…………」

てくてくと近寄っていく猫に対して、リーはじわりじわりと後ずさった。

「せ、セナ、捕まえて……!!」

「何故だ……!」

『なー』

近寄れないからか、猫は不思議そうにその場に座り込んだ。が切り替え早く、すぐに身づくろいをし始めた。

「こんなに可愛いのに……」

茶猫が去り空いたスペースにすかさず入り込んできた白くてふわふわした猫を撫でる。満足したのか白猫もリーを目指した。

「い、嫌だ……来るな……!」

今度の猫はリーの反応を見て、不機嫌そうに威嚇した。

「ほうほう、どうしたどうした……ふむ。リーは猫が苦手なんだな?」

「苦手、というか……嫌な記憶、の象徴……」

「ああ、そうだった……天使族は猫が苦手な者が多かったな!失念していた」

アズサさんは突然思い出したかのように言った。

「猫は動くものに反応するから、天使族の羽はよく被害に遭う、そうだったな?」

「ああ……。いじ…いたずらで猫を無理矢理、羽に付けられたことがあるんだ」

猫もパニックになって散々ひっかかれて……。

「他にも、一人静かにしたいときほどやってきて、羽とかにちょっかいを出されてさ……」

「なるほど……」

「いたずら?」

アズサさんが一瞬険しい顔をしたような気がするが、すぐに朗らかに笑った。

「そうかそうか!なら、猫たちは私とセナが対応しよう。何、猫たちも物珍しくて来たんだろう、すぐに満足して定位置に帰る」

「喜んで対応します……可愛い」

『んにぃ』

無邪気な子猫が現状を理解できず、リーの方へずんずん進んで行く、俺はそれをそっと抱きかかえる。

『んみ……』

途端に大人しくなった猫の可愛さに耐えられなくなりそうだった。ずっとこのままでいたくなった……。

「さあ、ばんちゃろう!猫たちを引き連れて元の場所に戻るんだ」

ボス格のある猫がにゃあ、と返事らしく鳴く。

「ばんちゃろう?」

「そうだ、ばんちゃろうだ!」

「変な名前だ……」

リーは冷や汗をかきながらも会話に参加してきた。

「俺は良いと思うぞ。それに……リーの名前付けの方が大変なことになりそうだ、センス的に」

「……君も直球だよなぁ」

苦い顔しながらも、猫たちが去っていくからか少し安心したように笑った。

ぞろぞろと離れていく猫たちに対して、一匹大人サイズの猫が俺に近寄ってきた。抱きかかえている子猫の母猫かもしれない。

俺は引き際を理解し、泣く泣く、子猫を母猫に返した。

猫たちが去り、段々といつもの薄暗い廊下の雰囲気が戻ってくる。

リーは完全に元の調子を取り戻していた。

「じゃあ、次はどこへ行く?早く探検を再開しよう」

「見事な変わり身だな……」

「ははは!猫たちには今度おやつをあげておこう。では、私達は次なる目的地を目指すことにしようか!」

再び先頭に立ったアズサさんに続いて歩き始める。

コメント