イラスト数 3枚
1-5
春のやわらかな気候で穏やかにまどろむ。まだ夢うつつだが、なんだか鼻に違和感を感じ徐々に意識が浮上し始めていた。
くしゅん
……自分のくしゃみで目が覚めた。その勢いで宙に浮いた花弁が再び自分の顔の前に戻ってくる、それを指でつまみながら思い出した。
ゆっくりと上半身を起こし、辺りを見回す。横でダイナミックな寝相のリーが爆睡している。それをくすぐりまわしながら考える。
軽く仮眠したつもりだったが、思ったよりも寝てしまっていた。とっくに日は真上を通過したらしく、日没へと向かう辺りに鎮座している。早めに動かないと、この迷い森で夜を越さないといけなくなる。
「くくっ……、せ、セナ、やめ」
くすぐられてリーは目が覚めたらしい。なるほど。今度からこの手でいこう。
「リー、俺も寝入っちゃって。時間がまずいんだ」
もう日没まで時間がない。そう説明すると
「ああ……なるほど…」
そう返し
また横になった。
「リー!?今の話聞いてたか?」
「もちろん。もうここで良くないか?」
この暖かな気候を感じてよ、まさにここで寝ろと言っている……
などと訳の分からないことを喋りながら寝ようとしたのでまたくすぐった。
「くっ、わかった、わかったよ!わるかったって!!」
「じゃあ、早く起きて!」
リーは渋々鞄を肩にかけ、立ち上がった。
「残念だな……このさくらはとても奇麗だからさ、もっと見ていたかったよ」
「まあ、そうだな」
仕方ない。とは口に出さず、俺は最後に一本桜を見上げた。桜の大木はふわりと花弁を舞い散らせる。別れの挨拶のようだった。それを見届け、後ろを向く。
既に少し先まで移動していたリーに続いて歩きだす。名残惜しそうにしていたと思ったが切り替えが速いな、やや呆れながらリーに話しかける。
「なあリー、来た道を覚えてるか?」
「ああ、うん?どこだったかな?」
やっぱりな……とは思いつつも咎めない。俺もここに来た時は夢中で走っていたからよく周りを見ていなかった、つまりお互い様だ。
「とりあえず、この開けた方から進んでみよう。あとは俺らの運を信じるしかない……」
「僕、多分運強いから大丈夫」
「そうか……けど俺は運がとても悪い。」
「僕と出会えたんだから割と幸運だろう?」
どうだか。そう返しながら笑う。なんだかリーのよそよそしさが薄れているような気がする。
「あのさ、友達ってこういうことなのかな?……いままで友達いなかったからさ、よく分からなかったんだ」
少し表情を曇らせながらも嬉しそうに言う。
友達……そういう繋がりは悪くないなと思う。
「意外だな。てっきりリーは友達が多いかと」
「全然!まあいいや、過去より今の方が大事だしさ…….僕は今が楽しいから」
後半は自分に言い聞かせているようだった。なにかありそうだが、触れてほしくなさそうだったのでそっとしておく。
性格も違えば出自だって違う。さらにいえばお互い敵対関係にある種族だ。けれども俺らは同じように、どうしようもなく忘れたい暗い過去がありそうだった。
歩いていくと徐々に木々が生い茂り始め辺りが暗くなっていく。
似たもの同士だから巡り合ったのかもな、とリーに話しかけながら、先へと進む。
橙色の夕日が静かに歩く俺らを照らす。
一本桜の下を去ってから数時間は経っていそうだった。それでも相変わらず森が開けることはなく、鬱蒼としている。
次第に会話は途切れ始め、今は今朝のようにまた無言で歩き続けている。本当にこの森で果ててしまうのではないか、不安がより強く表れる。
そうなるくらいならと既に思考はこの森からの脱出ではなく、安全な場所を見つけ夜を越す方向へとシフトしていた。
「リー、これ以上歩くと体力を消耗してしまう。そろそろこの森の中で安全に過ごせそうな場所を探そう」
「そうだなぁ……といってもさっきからずっと同じような景色だよ」
どこを見ても木ばっかりさ。いっそ木に登ろうか?リーは苦笑いした。
木登りは却下で、と返す。
「リュックがあるから登れないよ…….」
そう情けなく言いながらふと横を見たら、ぽっかりと木々が開けている場所を見つけた。俺はリーに声をかけ、そちらへと向かう。
「なんだ崖か……」
着いた先で俺はがっくりと肩を落とす。そこは夕日の光を感じられる場所ではあったが、土地の先は途切れていた。
ギリギリまで前に出て崖下の様子を窺がっているリーに危ないと声掛けする。
「あのさ、この下に行けば森から出……、あっ!セナ、向こう!」
俺は首をかしげながらリーが指さす方角を見る。少し先に街のような景色が見える。
「あれは……街か?意外と近かったのか……」
「多分そうだ!あっちの方へ進もう。今日はここで寝泊まりしてさ、明日また日が昇ってから行動しようよ」
「それもそうだが……、ここ崖だから寝てる間に落ちたりしそうじゃないか?……特にリー」
寝相ダイナミックだし。
「ああ……大丈夫さ、多分」
「……」
「ほら、崖から離れたところで寝れば良いだろう?」
俺は渋々承諾する。リーはいそいそと寝袋を取り出し、地面に敷き始めた。
「今から!?早くないか?まだ夕方だぞ」
リーは寝袋に潜り込み、へらりと笑った。
夕食を済ませ、後は明日に備えて眠るだけだった。辺りはどっぷりと暗い。俺は遠くから聞こえてくる何かの音と寒さに怯えながら寝袋を頭まで被る。
リーはというと先程俺が読んでいた本に興味を示したので渡したが、早々に飽きたらしく適当にページをめくっている。あ、閉じた。
また何かの遠吠えみたいな音がした。リーは平気そうだ、気ままに空を見上げている。
「セナ、寝袋に籠ってないでさ、空を見なよ。あのさくらと同じくらい奇麗だ」
そう言われ、俺は慎重に顔を出した。
途端、まぶしいくらいの星明りが目に入る。かつて人々の生活がまだあった頃は、街の光の輝きで星は見えなかった。その生活が失われた今、こうして星々は輝きを取り戻したようだ。特にここは森の中だからか星空はより美しく輝き続けている。
たまに流れてくる流れ星にリーは歓声を上げる。
寝袋から頭だけ出し、そうやって寝付くまで二人で星空を見上げていた。
目が覚めたら白の中だった。朝だからか霧が出たらしい。
辺りはしんと静かだ。
横を見るとリーはいなかった、空の寝袋だけが残されている。どこにいったんだ?
上半身を起こし、辺りを見回す。意識を集中させてみるとかすかに水の音が聞こえてきた。昨晩は色んな音がしていたから気付かなかった。
立ち上がり音のする方へと向かう。
「リー、ここにいたのか」
音源は小川だった、その側にリーは座りこみ何かをしている。
「ああ。セナ、起きたんだ。今朝起きたら水の音がしたから来てみたんだ」
「そうなのか」
「この水冷たくて気持ちいいよ。顔とか洗うと最高だよ」
そう言いながらリーは顔に水を当てている。俺もそれに続いた。水が思っていたよりも冷たくて驚く。
「後でボトル持ってきて中に溜めようかな」
「それは良いね」
次第に霧が晴れていく。それでも朝日は見えなかった、今日は曇りらしい。
森中に小鳥の鳴き声が響く。昨日までは恐ろしかっただけの森だが、徐々に印象が変化しつつあった。
寝床へと戻る道中、急にリーが立ち止まる。
「リー、どうした?」
リーは近くの木に寄ると何かを取った。
「これ、食べられそうじゃないか?」
そう言うが否やそれにかぶりつく。俺は呆気にとられた。
「うん、案外おいしいよ。甘酸っぱい」
「……腹壊したりしないか?」
恐る恐る聞けば、リーはもう一つ木の実を取りこちらに差し出した。俺は逡巡した後覚悟を決め、一口かじった。
それは思っていたよりも普通の味だった。甘くてほのかに酸味がある。
「案外いけるな……けど大丈夫かこれ」
「大丈夫だと思うよ。それに万が一駄目だったとしてもお互い食べているから死ぬときは一緒だ」
面白そうにリーは笑う。
「勘弁してくれ……でもまあ、こんな状況じゃいつ食料を回収できるか分からない。食べられそうなものは食べるしかないな……」
そこで俺は閃いた。
「なあ、これを昨日食べた後残しておいたカップ麺の容器に詰めて持っていかないか?」
リーは快く賛成する。
「先に寝床に戻って荷物を取ってこよう。この木の実の回収とさっきの小川の水も採取したい」
「……よし。これで大丈夫だろう。」
「セナやるなあ。完璧じゃないか」
「ありがとう。けどそこまでか?」
残しておいたカップ麺の容器の中にギリギリまで木の実を詰め、蓋を手持ちの道具──テープで止めた。一人一つずつ鞄にしまう。
続いて小川へ向かい、ボトルに水を溜めた。
「そろそろ行動しよう。リー、街の方角はこっちで合ってる?」
「間違いないよ。さっき荷物取りに戻った時に確認しておいたからさ」
森はどこも景色が似ていて迷う。それで不安を感じたり失敗したりすることもあったが、今は確信を得たからか足取りが軽い。
街へ辿り着いたとしても、また先の不安定な旅が続くだけだろう。それでも森の中で生活を続けるよりはずっとましだと、そうリーに話す。
後は二人で黙々と歩いた。少しだけ明るい気持ちで。
「あーー……やっっっと出れる………!!」
思わず快哉を叫ぶ。
ひび割れ歩き難い道路が今はなぜか心地いい。
森を歩いて数時間。俺たちはやっと街へと続く舗装された道路に出た。
「僕は森での生活も悪くなかったけど、こうして戻ってみると確かに安心感がある」
そのまま速足で街へと向かう。どこかの住宅地へと辿り着いた。近くのベンチに二人で腰掛け、水を飲む。
ほう。と一息つき、やっと安寧が得られたような気持ちになった。
「ここは前の住宅地じゃないみたいだ。別のエリアに出たか」
「いずれにせよ、先に進まないといけないだろう?」
どうする?リーにそう尋ねられ、俺は考える。
「……この先に、俺が昔家族と暮らしていた地域があるはずなんだ……今まで来た道を逆に戻ることになるが」
やがて思いついた案は俺にとっては辛いものであった。あの時は突然のことで逃げるようにその場を去ってしまったが、恐らくあのエリアは爆発で崩壊している。
けれども、きちんと確認しておきたかった。
「構わないよ。僕はここら辺に疎いからさ」
「そうか。あと俺、天使族テリトリーに興味があるんだ。来た道を戻れば壁に着くだろ?」
リーは少し考えた後言った。
「……人間に対して、天使族がどんな対応をするか分からない。僕は天使族に対して良いイメージがないから悪い方向に考えてしまうけど……」
「俺はそうは思わないけどな……まあ良くない態度をとられるのには、慣れている……だから大丈夫だろう」
それを聞いたリーは何かに気付いたかのような顔でこちらを見た。
「そうか……分かった、案内するよ」
「ありがとう。頼む」
「じゃあ行動しよう、まずどこへ向かう?」
とりあえず、そこの道路をまっすぐ進んで行こう。そう返し俺たちはベンチから立ち上がった。
「あのさ、セナ。僕たちやっぱり似た者同士だよ」
昨日もセナが言ってたけどさ。
暫く歩いた後、やや落ち込んだ様子でリーが話しかけてきた。
「どうした?リー……」
「蔑まれたり、疎まれたりさ、……君も覚えがあるんじゃないか?」
「……ああ」
「そうされた僕らはどんなに辛くたって、分かってもらえない……声は届かないだろ?彼らに」
「……そうだな、確かにそうだった」
「そうか……でもさ、こんなことを共有できてしまうなんて、悲しいね、僕たち……」
なんだか居たたまれない気持ちになった。否定ができない。
「け、けどな俺はそういう意味合いで似た者同士だと言った訳ではないんだ、たしかにそういう所も似てるかもしれないが……」
思えば俺らは奇跡の生存者な訳で、俺らをないがしろにしてきた奴らは息絶えたかもしれない。
「俺らは、この経験を肯定できなくても、それが役に立ってこうして生存してるかもしれない……つまりはさ、俺らは強いんだよ、多分。辛い経験で鍛えられたんだ」
そういう部分が似てるだろ?
伝わっただろうか。
リーはこちらを見つめる。出会ったばかりの時のリーを思い出した(といっても数日前か。なんだかかなりの時間が経ったかのような気がする)
「くっ……そうか、そうだよ。僕らは強い」
突然笑い出したリーに驚く。
「かなしいひとりぼっちが二人だ……ああ、それも良いかもね」
「ふたりぼっち、でどうだ?」
良いね、最高だよ!
リーは調子を取り戻したらしい。俺も一先ずほっとする。再び前を向き歩き始めた。
歩き進めていくと次第に住宅が減り、大通りに出た。
「あ!あれは何?セナ」
リーの視線の先には、地上の道路から坂が接続し、上空の道路へと続く──インターチェンジがあった
「ああ、もしかしたらこの上のはハイウェイか!」
「ハイウェイ?」
「自動車だけが通る道路、らしい。俺も本で読んだだけだが……あと一人で旅していたときに一度歩いたことがある」
「ジドウシャ……もよく分からないけど、とりあえず分かった」
本当か?もしや天使族には車もないのだろうか。
「セナ、行ってみようよ!」
「良いけど……ハイウェイは道路しかないから厳しいぞ。食料も水も調達できない」
「少しだけ!途中で降りられるだろう?」
降りられない道は作る意味なさそうだからさ。リーは笑いながら言う。なんだか楽しそうだ。
「まあ、一応……じゃあ、行ってみるか」
坂を二人で登る。上層の道路にたどり着いたとき、思わず歓声を上げた。
「すげえ……やっぱり眺めがいいな。高いけど景色がちゃんと見える」
森は高すぎたし遠かったしで街の景色がぼんやりとしか分からなかったがハイウェイは違った。以前一人で歩いた時よりテンションが上がる、側に友達がいるからだろうか。
「この高さ……もしかしたら天使族の皆はこういった景色をいつも見ていたのかもしれないな」
「皆は?リーは……?」
今まで避けていたことを思い切って聞いてみる。
リーは景色を見ながら言う。
「僕は……飛べないんだ」
生まれつきだよ。この翼は飾りみたいなものなんだ。
俺は返す言葉が見つからなかった。
「飛ぼうと翼を動かしても飛べないんだ……皆みたいには、できなかった」
昨日、リーが翼を邪魔だと言った意味が分かった。
黙り込んでしまった俺を、リーは困ったような顔をして見た。
「もう良いんだ、過去のことさ」
そう言うとリーは振り返り突然走り出した。
「リー?!」
「競争だよ!セナ!僕は飛べないけど走るのは速いんだ!」
「なっ……!不意打ちはずるいぞ、リー!!」
二人で騒ぎながら走る。もう俺らを咎める者も、邪魔をする者だっていない。
これからどうなるのか見当もつかないが、悪いことばかりじゃなくなるかもしれない。
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