短編「僕たちはどこへ行けば良いのだろう」

短編
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いつかのやりとり

短編-1-

「旅の目的?」

栄養ブロックをむさぼりながらリーは首をかしげた。

「このまま流浪するわけにもいかないだろ?それに、目的が定まれば動きやすくなる」

「まあ……それもそうだけど、さ。」

リーは一瞬言葉を濁す。ためらったのは束の間、子気味良い音を立て、食べこぼしを払い落とした。

「そういうセナは、目的にしたいことはあるのか?」

……提案しておいて何だが、俺も目的については何も思い浮かばなかった。

「特には。」

「まあ、そんなとこだろうと思ったさ。」

そんな俺を詰ることなく、リーはさらりと笑ってみせる。

だがその笑顔は続くことなく、すぐに憂いを帯びた。

「……僕、したいこととか、欲しいものとか……改めて意識してみると、無いな」

「思えば俺もそんな感じだ……ああ言っておいて何だが」

答えながら、まだ残りのある食糧の箱を丁寧にリュックにしまう。

「僕ら、日々を生き抜くのに必死だけど、昔から、そんな感じだったような気がする……余裕を持ったことがない」

「それには同意だが、俺からしたら飄々と……余裕満々に見えるけどな。」

「そうか?、まあ……」

人って不思議だと思わないか?、内心思うことと、周りからの印象が全く違うんだ。

「それが良い方向性だったら、良かったんだけどさ……」

リーはどんどん沈み込んでいく。たまに陥るリーのらしくない沈み具合に慣れてきたところはあるが……リーについて知らないことが多い分、輪郭の掴めない不安に苛まれる。

本当は、暗いリーの方が素なのではないか……(いや、どちらも素の可能性があるな、リーの転身具合を見る分には)

「……俺も、あれが無い、必要なものが足りない、そんなこと日常茶飯事だったが、あえて欲しいと言わなかった」

欲しいと言っても手に入らないことが分かりきっていた。欲望を持てば持つほど、自らの首を絞める。そんな環境だったんだ。

「僕も、与えられない環境は当たり前だった。慣れ、というか、諦めか……欲望を持っても叶えられず、満たされないなら持つだけ、苦しいんだ」

けれど、辛い環境で生きたくはない……誰でもそうだろうけどさ。

そうだとしても、恵まれた環境を与えられるのは……僕にはずっと遠い世界の、選ばれし者だけ。そんな気がしていた。

「……それを否定する説がないな。人の本質は不平等だ、その上環境はほとんどの場合、選べない。」

リーの言葉を翻したい気持ちがあった、何だかその事実を改めて認識して──認めることは、自らが選ばれし者ではなかった、と認めるようで辛い。

けれど、現実は今を直視すれば如実に分かる。

環境さえよければ──家族は、まだここに居ただろうか。

すでに声の記憶は薄れていた、どのような音で俺の名前を呼んでいたか──明確に思い出せない、忘れてはいるが、感覚は消えていないはずだ、それなのに。何度再現したいと思ったことか。

聞けばすぐに分かる、間違いなく。それはもう二度と叶わない事だが。

人はまず声を忘れるらしい。その事実が現実の感覚として伴って、はじめて俺は人は残酷な物事の上で生きていくしかないのだと、絶望にも捉えられる感覚と共に受け入れるしかなかった。

忘れていくのは、声だけではない、その次は──そうだった、顔を忘れていく、確か……

そこではたと気付く。あの時チトセはどのような顔で笑っていた?ばあちゃんが俺を諭す時の思慮深い表情は……

既に表情はすべてイメージ、輪郭だけの雰囲気として、そのような曖昧さのみで記憶に残っている。

改めてはっきりと見たいと思っても、記憶からは既にその情報が喪われている。

ああ、もう彼らはこの世に生きていないのだと、実感せざるを得ない。

「……セナ?……君がそんなに落ち込むと、僕どうしていいのか分からなくなるんだ」

「リー……」

はっと、我に返る。そうだ、こんな運命だとしても、俺はリーに出会えたんだ。そして、旅で様々な人々と関わって、色々なことを知った。

今はもうそれだけしか、縋れるものがない。

「……あのさ、僕は今は色んな束縛から解放された。だからやりたいことをもっと自由に考えて、発してもいいのかもしれない。………けれど、今度はさ、生活とか生存とかの問題が自由を奪う、そうだろう?」

やっと……あの地獄から抜け出したと思ったけどさ、まだその先があったんだ。僕らはいつになったら自由になれるんだろう。

力なくリーは笑う。

自由……か。

そういえば昔、誰かから聞いた事か、はたまた本で読んだことか忘れたが、自由は本人たちの気持ち次第らしい。

言わんとしていることは分かるが、環境が切迫していると、そう上手く気持ちを切り替えられないじゃないか。

本人次第の自由より、ただそこにいてふっと自由を感じる様な、穏やかで苦しくない環境に居たいと、……そういつになく思った。

「……かといって止める訳にはいかないだろう?自分自身に期待も、何も無いけどさ、やっぱりこう身近に終わりを感じると、恐い気持ちもあるんだ。今僕らが出来るのはこうやって旅を続けて、転がり続けながらでも何とかやっていく……それだけなんだろうか?」

「そうだな。この旅も安泰とは言えないが、少なくとも何もしないよりはずっといい……そう思うんだ。俺はな」

気も紛れる。

リーは地面に放っていた鞄を持ち上げようと屈む。そしてかぼそく呟いた。

「僕らは許される範囲でしか、願望も希望も持てない……」

おそらくそれらが十分に──いやむしろ余分に、あるからこそ生きることに積極的になるのだろうか。

許される範囲、に妙に納得してしまう。人生に希望も生きるための願望も充分持てずにいても、それが許されている範囲内だから、仕方ないのではないか。

終えるのは恐い、しかしそれ以上に現実は厳しい。……けれど人生は絶望だけが起きる訳でもない。仲間を置いて先に逝く訳にもいかない。

俺らは二人だからこそ、互いに引き留め合っているのかもしれない。

「何が”したいこと”なんだろう。これから僕らはどうすれば良いと思う?──どこに行けば…良いんだろうか」

珍しく茶化さないリーの言葉が、静かに響く。俺はその答が見つからなかった。


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