第3話「協定」

本編
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“どうして天使族がここにいるんだ”

お互い微動だにせず、相手の出方を窺う。

軽率な行動を取るべきではない。向こうは今まで人間が長らく争ってきた相手──天使族であり、下手な手を打てば何が起こるか分からない。

今この時を除けば、今まで天使族と遭遇したことはなかったが、戦争によって苦しい思いをしたり、人づてに聞いたりしてイメージが形成されていった。

人間と天使族の争いはもうずっと続いているらしい。原因を詳しくは知らないが、この世界が出来る前からだとか、まことしやかに言われているのを聞いた事がある。

今までも停戦と開戦を繰り返し、数年前再び開戦し、戦乱が激しくなったのがここ一年くらいのことだ。そんな争いにある意味で決着がついたのは、数ヶ月前の大爆発がきっかけだと思う。戦争は物理的に継続できなくなり、終着した。あるいは争いどころじゃなくなり、自然消滅したと言えるかもしれない。

お互い相手への警戒は緩めない。そんな緊張状態を破ったのは天使族の方からだった。

「君はここで暮らしているの?」

緊張感はあるが棘のない声で問われる。突然の事で狼狽えながらも答えた。

「あ、いや…………旅を、している。ここへはその一環で来たんだ」

「ああ、なるほど………、じゃあ、僕と同じだ」

そう言って天使族はわずかに笑う。それを見て疑問が湧く──もしかすると、この天使族は争う意思がないのか?

「僕は見ての通り天使族だけど、君と戦う気はない。手持ちに武器はないよ」

そう言って天使族は手を差し出した。今まで持っていたイメージを裏切る振る舞いに、一瞬逡巡したがそれを握り返す。

「ずっと一人きりで旅していたんだ、こんな所で人に会えるとは思っていなかった」

まだ状況が完全には飲み込めていないが、混乱する頭をおいておき、流れに身を任せることにした。すると天使族は申し訳なさそうに肩を竦め、言う。

「会ったばかりで言うのもあれだけど………食料に余りとかはある?、昨日手持ちが尽きてしまったんだ……もちろん僕の渡せるものと交換しよう」

天使族は鞄を探り、思いもよらぬことを提案する。

「そうだな………、あ、水とかはどう?昨日補給したからストックがあるんだ」

「え!水?!もちろん!!お願いします!」

思わず食い気味に反応してしまう。

俺の突然の行動に驚いたらしく天使族は呆気にとられている。

既に先ほどの恐怖や警戒といった感情はどっかに置き去りにされていた。理屈は喉の乾きには勝てない。今は目先の水分補給の方が重要だ。

俺は手持ちの栄養ブロックの箱を一箱渡し、まだひんやりと冷たさのある水のボトルを受け取った。

二つあるベンチにそれぞれ一人ずつ座る。

俺はボトルを急いで開封し、水を呷る。途端にひんやりとした冷たさが乾いた喉に染み渡り、生き返った心地がした。

なんという幸運!やはり神は俺を見捨ててはいなかった。

水を得たことで少し余裕のできた脳が再び働き始める。そういえば先ほどこの天使族は“水を昨日補給した”と言っていたような。

ちらりと横のベンチに座る天使族を見る。箱を豪快に破壊しているのが分かり、見た目に反して意外と不器用なんだろうか?など失礼なことを考えた。

「あの、水は昨日、どこで補給しました?」

栄養ブロックを無心で食べていた天使族は俺の呼び掛けに反応し、こちらを向いた。

「あ………えっと、俺が周辺を探索した時は水は見つけられなかったから、気になって」

「ああ、補給は向こうの辺りで水溜まりが…何か水槽、というよりプール?でいいのかな……あ、いや天使族はあまり泳がないんだ、だから馴染みがなくて」

天使族は俺が探索したエリアとは真逆の方向を指し言った。天使族はあまり泳がないのか、確かに羽とか水中だと重くなりそうだ。

「なるほど。あの、もし良ければ場所を教えてください、最近水を補給出来ていなくて困っていたんです」

この後用事とかなければ、と付け加える。

「そんなに遠くないし、構わないよ。」

そう言うやいなや、箱を鞄にしまい込み、ベンチから立ち上がった。今から?!俺は急いでベンチから立ち上がり、後を追った。

歩きながら状況を確認する。昨日俺が探索した辺りとは真逆の方角とはいえ似通っていた。やはり建物のほとんどは崩れ去っている。

天使族は少し前を歩き、一言も喋らない。先ほどのスムーズな振る舞いを思えば意外だった。無言で着いて行く。しばらく歩き、割と大きめの倒壊した建物の前で止まった。

「表からじゃ見えないけど、あの壊れた白い建物の裏にある。そこの隙間から裏に入れるよ」

「ああ、ありがとう」

じゃあ、と言い、その場を離れた。振り返らなかったから、天使族がどうしたか知らないままだった。

言われた通りに隙間から建物の裏へ出ると確かにプールがあった。槽にたっぷりと水が溜まっている。リュックを下ろし中からボトルを取り出した。

「これくらいあれば暫く大丈夫だろう」

手持ちの空ボトル全てにしっかりと水を入れる。リュックにさらに重みが加わった。久しぶりの重さにやや慣れずにいながらも、次の目的を果たすためこの場を後にする。

再度隙間を通り表へ出る。辺りを見渡したが、天使族はこの場を去ったらしく姿を見かけなかった。

まあそんなものだろう。そもそも今この状況で旅をしている者はほぼ全員、趣味ではなく生存の為だと思う。各自果たすべき目的もあるだろう。

それでも少し、さみしさを感じてはいた。不思議なものだと思う、最初はあれだけ警戒していたというのに。

敵意はないと表明し、親切に水場まで教えてくれた。敵対種族に対してそこまでしてくれたのだ。厳しい状況での一人旅の過酷さを経験しているし、共に行動出来ればと思っていたが、仕方ない。

これからどうするか。

日没までに休める場所を探しつつ、次の移動場所を考えなくてはならない。この住宅地は水はあるが食料補給ができない。ここを住処にするには厳しいところがある。

この住宅地の先は森だ。これを抜ければまた別の地域に辿り着くだろうか?、もしくは来たエリアを再度戻るか。森へ行くことは賭けのようなものだ。もし森が広く、かつ迷いでもしたらその地で果てることになるだろう。かといって来たエリアを戻るのも、食料は回収済だから当てがあるのか微妙なところだ。

色々考えながら歩きつつ、今日の朝方探索したエリアへと向かう。さっきは慌てて戻ってきてしまったから、きちんと調べたかった。もちろん恐怖のあの辺は避けて探索するつもりだ。

しばらく歩き、分岐した道の前に出る。左の道を進めば多分、あのいわくの建物の辺りに着いてしまうはず、ならば選ぶのはもちろん、と右の道へ進もうとした時。

左の方から何かが倒れるような音がした。

ああ、多分転んだんだろう。あの辺は瓦礫が多くて引っかかりやすい、事実俺も転んだし。転けるような音がしたということは人がいる、向かうべきか。でもあの建物の下にはもしかしたら遺体があるかもしれない、しかし見捨てて行くのは……

よし、と心に決め、左の道へ進む。

転けたのはもしかしたらさっきの天使族だろうか?、いや、天使族なら飛べるだろうし転ける前に回避できそうだ。

だがその予想は鮮やかに裏切られた。辿り着いた先でダイナミックに倒れていたのはさっきの天使族だった。まじか。

「あの、大丈夫ですか……?」

俺が慎重に声をかけると、倒れ込んでいた天使族ははっとこちらを向く。

「ああ!君はさっきの…………」

手を差し伸べる、天使族はそれを握りながらよろよろと立ち上がった。

「ごめん………いや、ありがとう、かな。助かった………この瓦礫の上に倒れたら痛くてたまらなかった、平坦な道に倒れ込むのとは訳が違ったんだ………」

「ああ、分かります。俺も今日の朝転びましたから」

「えっ!君も」

天使族は驚いた顔でこちらを見る。

その時、顔に傷があるのを見つけた。俺はリュックから医薬品のセットを出し、絆創膏を取る。医薬品は貴重だけど、こういうときには使うべきだと思う。

「顔…………あの、頬の部分に怪我してるので絆創膏貼りましょうか?」

「ありがとう、けどこのくらいほっとけば治……………」

そう言って頬に手を当て、手のひらに赤がついたのを確認していた。

「やっぱりお願いしてもいいかな?」

ぎこちなく笑いながら言う天使族に快く返事をし、頬に絆創膏を貼る。

「よし、多分これで大丈夫だと思います」

「ありがとう……そうだ、君の名前を聞いてなかったな」

「セナです。あなたは?」

「僕はリー。ありがとう、セナ。」

何となく打ち解けていた。先ほどの移動の時よりずっと。同じように転んで親近感が湧いたからかもしれない。

「そういえば、天使族なら翼で飛んで転ぶの回避できそうだけど、意外と難しかったりする?」

「………………ああ」

途端にリーの表情が翳る。しまった。打ち解け始めていたのにやらかした………

「ああ、いや、ごめん!俺翼ないからどうなんだろうと思って………!」

聞いてはいけない事だったかもしれない。俺は慌てて弁解する。

「構わないよ、気にさせてごめん」

…………沈んだ流れをリセットしたい。

その時あれのことを思い出した。俺はリュックから機械を取り出した。

「セナ、それは何?」

「多分……機械だと思う。朝ここで拾ったんだ、戻しておこうと思って」

リーは機械を覗き込む。興味があるみたいだった。

「なるほど、機械か………天使族にも機械はあるけど、人間のはそれよりずっと規模が大きいって聞いていたんだ」

「そうなんだ、でもこれは大した物じゃないと思う。もっと大きい機械もあるらしいし……俺はほとんど見たことないんだけどさ」

俺は朝あったところ(といっても瓦礫の山の上)にそっと機械を置く。

「セナ、持っていこうよ、これ」

リーは俺が置いた機械を取り、まじまじと見ている。

「持っていく………?、いや、荷物になるし、使い道がわからないから………」

「僕が持つから」

そう言うとリーはこちらを向く。

「あのさ、セナ。これから一緒に旅しよう。一人より二人の方が安心だし、道具とかも共有した方が楽だと思う」

思わぬ提案だったが、俺は二つ返事で答えた。

「もちろん、俺もさっき提案しようとしてたんだ。リーがいなくなってたから言えなかったんだけど………」

「ああ、ごめん。空腹で思わず話しかけてしまったことが後から恥ずかしくなってさ………」

そう言いながらリーは照れ隠しなのか、鞄を探り栄養ブロックの箱を取り出した。

「交換したこれだけど、二人で分けよう」

二つ入ってるブロックのうち一つをこちらに渡す。

「ありがとう、これからよろしく。リー」

久しぶりに摂る誰かとの食事だった。いつもと同じ栄養ブロックのはずなのに何故か美味しく感じた。

「あのさ、セナ。今夜の寝床だけどどうしようか?」

「そうだ、早めに行動しておこう。というかもう夕方か………時間がないし、ここら辺はあまり建物が残っていないから………最悪露天になる。」

「それなら、綺麗な夜空が見れるよ」

いやそれより寒いよ!

けれど、これからは寒くてもどうにかなる気がする。そう思った、なんとなく。

next/episode1-4「はじまり」

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