第7話「ふたりぼっち」

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雨が降る音がする

追いつけないのは、雨が降っていて前を飛ぶみんなが見えにくいからだと

そう思いたかった。

何かに引っかかって転んで、泥だらけになった。

「あいつは飛べないからこうやって転ぶんだ」

誰よりも僕を嫌うあの人が指さして笑っている。先生はそれを見ているはずなのに、何も言わなかった。笑われているのが僕だから?

雨が降っているのにその様子はひどいくらいはっきり見えて、悔しさと怖さで体が震えた。

グループの誰かが何か言って、みんなはどこかに行こうとする。

焦って立とうとして、泥で滑った。それを見て今度は全員が僕のことを笑った。

もうどこにも行きたくないし、みんなとも一緒に居たくないと思ったけど

僕には居場所も家族もないから行くしかなかった。

強まった雨が泥を洗い流していく。

そうだった。立ち上がれるようになるまで、こんな感じの雨の音を聞いていたんだ。

「っ…………!」

嫌な夢を見た。汗が急速に冷えて寒気がする。

ゆるりと上半身を起こせば外で雨が降っているのが見えた。夢うつつな状態でこんな雨音を聞いたから夢を見たのだろうか。

嫌な雨だ、あの時にそっくり。

もう一度寝袋に潜って寝ようとしたけれど、完全に冴えてしまっていた。

心がざわざわと落ち着かない。過去なんて忘れた、そう自分に言い聞かせてもトラウマは消えないのか。

「……リー、そっちはでかい青虫がいたからやめとけ…………」

「……セナ?」

唐突にセナの寝言が聞こえて思い出した、今は一人きりじゃなかった。隣人は満足げに眠っている。それを見ていたらなんだか落ち着いた。

「セナ、でかい青虫って何の夢を見てるんだ?」

返答は期待せず、話しかける。

青虫…….。そういえば昨晩、僕は服が緑だから青虫みたいだとセナに言われたな。

思い出しながら僕は立ち上がる。建物の外に出て、雨に当たった。改めて見てもこの建物はぼろぼろだけど雨は凌げる。

昨日セナの旧居住地に近いエリアから出て、暫く歩いてここで一晩越すことにした。

近いとはいってもまだ距離はあるらしい。無理なく、と言っていたけれど、実のところはセナが気乗りしないからなんじゃないだろうか。

そんなに嫌なら無理して行かなくてもと言ったけど、現実をきちんと受け止めたいから、と意志を曲げなかった。

セナは強いな。

雨が汗を流していく。かなりびしょ濡れになったから怒られそうだ。室内に戻る前に、羽を振るい水気を飛ばす。

寝ているセナの側に行き、勢いよく寝袋を剥いだ。

「さ、さむい…………!」

「おはよう、セナ。良い朝だよ」

「う、嘘だ。リーがそうやって素晴らしい笑顔をしてる時は大抵何かある……」

失礼な、そう笑いながら返す。

「ほらな、やっぱり良い朝じゃない!土砂降り!」

セナは起き上がった。口調は呆れてるけど表情は笑っている。

「……というか、雨に濡れてきたな?」

「最高だったよ」

「あのなあ……風邪ひくし、服の替えも貴重だろ?」

「大丈夫、僕風邪ひかないから」

セナは呆れる素振りをしながら寝袋を片付けた。


おんぼろの建物から出て歩くこと数時間。俺らは休憩も兼ねて昼食を摂っていた。

「これ、ベリー味?いろいろあるんだ?」

それに頷き返す。俺は栄養ブロックをもそもそと咀嚼しながら思い出していた。

リーと出会う前に食べた時もベリー味だった。

「……これ妹にも食べさせてあげたかったな。こういうの絶対好きだと思うんだ」

あの時と同じことを思う。リーは黙って聞いている。

「セナの妹……折り鶴を作ってくれた人?」

「そうだ、名前はチトセって言うんだ」

「チトセ……なるほど」

リュックから巾着と折り鶴を取り出す。赤い紙の鶴はしわが入って崩れかけていたけれどそのまま持ち続けている。

「……チトセもリーみたいに不器用で、鶴なんて折れなかったんだけど、何度も練習して段々上手くなって。これは一番よく作れたからくれたんだ」

鶴の羽を丁寧に開いて手のひらに載せる。しわだらけだけどちゃんと鶴だ。

「僕みたいに?」

リーは不器用なところで比較されたからか不服そうだった。

その後もしばらく会話していたが、何となく風が湿っぽくなってきた。

「そろそろ雨が降りそうだから、移動しよう」

俺たちは座っていた岩から立ち上がり、先を急いだ。


進めば進むほど、環境が悪くなっていく。作りも雑な建物は呆気なく崩れ去っている。その様子は昔住んでいたスラムに似ていた。

それで昔を思い出す度に立ち止まりたくなるが、今にも大雨が降り出しそうな暗雲を見て思いとどまる。

急ぎ足でしばらく黙々と歩いていたら後ろから唐突にリーが話しかけてきた。

「あのさ、セナ。前のリボン貸してよ。」

ずっと不器用なのも悪いだろ?練習したいんだ。

恐らく代り映えしない景色に飽きたんだろう。俺はリュックのポケットから赤いリボンを取り出して渡した。

「……うん。セナの髪は短すぎて結べないな」

その言葉で思い出した。

「チトセも、同じことを言っていた……俺がいつも髪を結んであげていたんだ、だから自分も結びたいって、それで……」

思わず立ち止まる。

「もう結んでやれることもないんだ……もう……」

リーは何と言うべきか分からない、といった様子でこちらを窺う。それを見て申し訳なく思った。

「すまない、リーは何も悪くないんだ。俺の問題なんだ、全部俺が悪い……」

「いや、大丈夫。気にしなくていい。誰にでも嫌な過去はあるだろうし……」

そう言うと、リーはリボンを首元で結ぼうと練習し始めた。

「何も知らないままだと困惑するよな……話すよ、昔のことを。聞いてくれるか?」

リーが頷いたのを確認して俺は続けた。

昔は、スラムに住んでいなかった。貧乏なのが多いけれど、普通の住宅地に住んでいた。

けれども徐々に政府が軍拡に力を入れ始めて、中央部以外のエリアは管理が行き届かなくなり環境が悪化していった。不衛生になって、野良犬が媒介する病気が流行って……ばあちゃんとチトセは犬に噛まれて病気になった。

ずっとこのまま居たら、周囲にどんな態度を取られるかわからない、ただでさえ身元不明の子供が二人いるから尚更。

だから遠くのスラムに引っ越した、ここならそういった人たちばかりだから隠れ蓑になると。

でもそれが間違いだった。

環境は劣悪だったうえに、次第に戦争が激しくなって薬も手に入らなくなった。病状は徐々に深刻になり、二人とも寝たきりになった。

「それで……最後は二人とも亡くなったんだ。病気で」

「……そうか」

リーはショックを受けたような顔をしていて、なんだか居た堪れない気持ちになる。

そうこうしているうちに、いよいよ耐え切れなくなった雨雲が雨を降らし始めた。

「二人は幸せだったんだろうか。……ばあちゃんはよく分からない子供を育てることになって……チトセは友達を作って遊んだりすることも出来なくて、それに親との記憶も殆どなかったんだ、小さい頃に別れたから。」

雨が次第に強まっていく。早く移動しないと二人とも濡れてしまうのに止まらなかった。

「二人のために生きてきたのに、二人が居なくなって……俺なんて生きている意味が無いのに、弱くて、終わらせられなかったんだ……」

最後は住居から逃げるように去ってしまった。現実から逃げたんだ。辛くて仕方がなかった。

「だから生活は続くんだ、生きることに必死になればなるほど、この悲しみが遠くなっていく。それって薄情じゃないか」

生前の価値を蔑ろにしている様なものだと、そう思ってしまってどうしようもなくなるんだ。

「…………」

リーは何と言うべきか決めかねているようだった。二人とも何も発することなく、静かだ。雨の音だけが騒々しい。

勢いよく雨が当たっては滴り落ちていく。

ふいにリーがこちらに手を伸ばして首元にリボンをかける。それを結ぼうと試行錯誤しながら言う。

「……僕は初めから家族が居なかったから良く分からないけど、失うのは辛いことだと、それは何となくわかる。けどさ、悲しみから遠ざかったとしても、それは薄情なんかじゃなくて……何て言えば良いかな…」

リボンは中々結ばれないが今度のリーは止めなかった。

「セナはそうやって辛く感じたり、後悔してるだろ?それって多分、情が厚いからなんだよ」

けれど、そんなにすぐには割り切れないと思う。

「だからさ、何度も思い出して辛い気持ちになりながらも……進んで行くしかないんだと思う、止めない限りは」

「リー……」

「こう見えても僕もそうだからさ……僕はどこにも行かないし、死なないようにもするし。ふたりぼっちの友達、ということでこれからも、傍にいるよ」

けどリボンも結べないし、なんか恥ずかしいかな?こういう時に決めたらかっこいいのにさ

「あはは、リーはそういうところが良いよ、ありがとう聞いてくれて……本当に今の今まで誰にも言えなかったんだ……」

今は雨で良かった。泣いても気付かれないだろうから。

「そういえばリボンの結び方教えるって言っただろ?今……」

「待て、セナ!先に雨宿り出来る所を探さないか?そろそろ羽の重さが限界に……!」

俺としたことが忘れてた。

「あ、あそこにある建物らしきところに逃げ込もう」

俺が言うや否や、リーは重くて脱いだのか上着をこちらに被せてきた。

「うわっ!」

「分かった!僕は先に行ってるから!」

「ま、待て!」

逃げ込んだ先でリーが勢いよく羽を振るうもんだから顔に水しぶきがかかった。

「室内でやったら部屋が濡れるじゃないか……全く、さっきはどこにも行かないとか言ってかっこつけてたのに先に行くし……」

「ごめんごめん」

俺は仕返しにリーを押し付けられた上着で巻いた。

「わっ!」

「思えば天使族はこういう雨の日に弱くないか?羽とか」

「せ、セナ、緩めて!」

仕方なく上着巻きを解いてやる。

「……天使族の羽はある程度までなら撥水するんだ。こういう土砂降りだと撥水が間に合わなくて重くなって大変だけど」

それでももう乾いてきてるだろ?

俺はリーの羽を触る。先程までびっしょりと濡れていたそれはすでにもふもふ感を取り戻し始めていた。

「あー……さっきは生きている意味が無いとか言ったけど、俺はこの羽のもふもふ感を堪能するために生きているんだった!」

「これだけのために?」

リーの羽はもふもふしていて暖かい、安心する。

「好きなだけ堪能していいよ。ところで僕の羽以外のところには何もないのか?」

「……」

「黙らないで何か言ってよ、セナ?」

「じゃあ約束通り、リボンの結び方教えるよ。ほらリボン出して」

はぐらかされた……!と言いながらもリボンを渡してきたので受け取る。

「こうやって、輪っかを作って……こうやって、こう」

「……??こうやってこう?わかったと思う。やってみるよ」

リーは見様見真似で結ぶ。不格好だけどちゃんと出来ていた。

「できてるよ。これ、蝶々結びっていうんだ」

「ちょうちょ……なるほどね」

やればできるんだな。俺がそう言えば少し切なそうな顔をした。

「そうだよ、僕はやればできるんだ……だけど、セナみたいにきちんと僕に教えてくれる人がいなかったから……」

「リー……」

「でも良いんだ。セナが教えてくれるだろう?だから大丈夫さ、これからは」

そう言って嬉しそうに笑う。

「できないことがあったら言ってよ。俺が出来る範囲で教えるから」

「できないことか……それにしてもセナにはできないことってなさそうだな。色々できるだろう?」

「褒めても何も出ないぞ?」

突然褒められて思わず照れてしまった。

その後もたわいない話しをしながら過ごした。現実は厳しいけれど、それだけじゃないのなら、なんとかやっていけるだろうか。


今日も相変わらずな雨だ。俺は空をぼんやりと見上げる。雨雲は寝るのに向いてなさそうだな……濡れそうだ

「セナ、さっきからふらついてるし、ぼーっとしてるし、大丈夫?」

「なあリー、雨雲の上で寝るのは嫌だよな?」

「何言って……、セナ今日おかしくないか?」

リーが訝しげにこちらを見る。

「いや特には……強いて言うなら今日は気温が高いからしんどい」

「今日は暑くないし……どちらかと言うと肌寒……そうか」

リーは手のひらを俺の額に当ててきた、温かい。

「良く分からないな……天使族は人間より体温が少し高いらしいから……けれどセナは熱があるんじゃないか?」

「どんな状況でも腹以外壊さなかった俺が?まさか」

「とりあえず休んだ方がいいだろう?どうしようか……」

辺りを見回すリーを見ている内に、何だか立つことさえしんどくなってきたような。

少し休もうと思って近くの石の上に座った時、意識が暗転した。


何かがずり落ちる音がして振り向いたら、セナが地面に倒れ込んでいた。

まさか、と思って慌てて呼吸を確認した。良かった、まだ大丈夫だ。

「セナ、セナ!聞こえるか?」

セナは何も返さない、呼吸も辛そうだった。

「どうすれば……」

僕はセナみたいに博識じゃないし、結構大雑把に生きてきた自負があるからこういう時どうすれば良いのか分からない。

その間も雨は絶え間なく降り続き、体温を奪っていく。

とりあえずさっき見つけた崩落しかけている建物の中に運び込むことにし、急いで行動する。

リュックが重かったから一度置いておき、取りに戻った。セナの寝袋を開くのも苦労したけど、なんとか寝かせることができた。

「…リ、リー、ここは?……何があったんだ?」

寝かされた振動で目が覚めたのか、セナがうわごとのように呟いた。

「ここは何かの建物の中、多分安全だと思う。セナは寝た方がいい」

「リーは……」

「僕もここにいるから」

そう伝えれば安心したのか再び眠りについた。雨の音とセナの寝息以外は何も聞こえず、静かだった。

僕はどうしようもなく不安になった。

熱が出たのは、昨日かなり雨に打たれたのに加えて、今まで張っていた気が緩んだからかもしれない。

けれども、もしセナの家族みたいな病気だったら……考えて、止めた。

あれこれ心配していてもしょうがない、今はセナの治癒力を信じるしかない。

僕は上着を脱いでセナにかけた。

もしセナが居なくなったら僕はどうするんだろう。

今までそんなこと考えてもみなかった。考えたくも無かった。

また一人の旅に戻る”だけ”なのか?

セナとの出会いは一人が二人に増えただけではなく、もっと多くの得たものがある。

誰かを失う怖さを知ったのは初めてだった。

僕はセナの熱が下がっていないか、一縷の望みをかけて額に触れた。


「父さん、また戦いに行くの?」

まだ小さかった俺は精一杯伸びをして机の下から父さんのことを見ている。

「ちゃんと帰ってくるよね?いつもみたいに」

父さんは黙って微笑んだ。そしてふいに俺の頭を撫でると言った。

「セナが大きくなる頃には、この戦争が終わっているといい。父さんの願いはそれだけだよ。父さんはそのために戦いに行くんだ」

まだ幼くて良く分かっていなかったあの日の俺は素直に頷いた。

「セナ、仲の良い友達を作りなさい、そしたら寂しくないからね。そして、チトセをよろしくね」

「うん。わかったよ父さん」

父さんは笑って、そのままずっと俺の頭を撫でていた。ずっと。


ああこれは夢だ。どうしてこんな昔のことを思い出すんだろう。

このあと父さんは行方不明になって、俺はチトセとふたりぼっちになった。

父さん、俺約束守れたのか分からないよ。

だってチトセは……もしかしたらもう父さんは知ってるのかもしれない。

そうだとしたらチトセと父さんは出会えたんだろうか。

チトセは小さい時にしか関わったことがないから父さんのことが分かるだろうか。

「……父さん」

熱で潤む視界で、リーが不安そうにこちらを窺うのが見えた。

「リー……おはよう……」

「セナ、熱はどう」

「わからん……」

「僕がさっき触った時は前よりは下がってた、と思う」

なるほど、リーが触れていたからあの夢を見たのかもしれないな。

「……まだ雨が、降っているのか」

「ああ。相変わらずさ」

生きている者の声ってこんなにも安心するものなのか。

「……なあ、リー、俺リーに出会えて良かったよ」

俺の突然の言葉に驚いたのか、しばらく間を空けて言った。

「僕もセナに出会えて良かったと、さっき思った。……だけどそんなこと言って、それが最期の言葉とかは勘弁してよ」

「あはは……大丈夫。寝たから元気出た、明日からまた動けると思う」

それを聞いて安心したのか、リーはいつもみたいに笑った。

「それにしても……すまなかった。風邪を注意した側がひくとは……」

「いや……ほんと一時はどうなるかと思ったけど、風邪はしょうがないだろう?それにいつも僕、世話になってるし……」

セナに負担かけてたかな?そう言うと申し訳なさそうな顔をした。

「水臭いこと言うなよ。これから何かあった時はがっつり手伝ってもらうし。それでお互い助け合うってことで良いだろ?」

「ええ……わかった」

リーはすこし嫌そうな顔をした。なんだその顔は。

けれどリーのいつでも通常運転なところがこういう状況だと安心する。

「あのさ、セナ。今回みたいなことがまた起きたりしたとき、やっぱり他にも人が居た方が安心だと思うんだ、そうだろう?」

「まあな。……俺も心決めて、早く目的地へ行かないとな。人がいる確証はないが……」

それでも常に移動することが大事だよね、そうリーは返しながら、何かに気付いた顔をして外を見る。

「遠くの方で雷が落ちたような気がする……大丈夫かな?僕ら……」

「まだ熱があるからかもしれないが……俺は聞こえなかった」

「僕結構耳が良いんだ、昔は周りのことに敏感だったから……このままだとこっちに雷が来るかもしれないね?」

「もしそれで雷が落ちたとしても、死ぬときは一緒だろ?」

いつかリーに言われた言葉を返す。

「まあ……なんだか僕らは共倒れが似合う気がするよ」

そういう物騒なことはさらっと言うもんじゃない、そう突っ込めば、リーは楽しそうに笑った。

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